いろいろ : たてのん
イラスト : NUTS
ライター : アラスカの荒らしや
ゲストライター : 関 隼
ゲストライター : 押野真人
ゲストイラストレータ : HiG
スペシャルゲストライター : かいこうさん
スペシャルゲストライター : バンヒロユキさん
その他、製本お手伝いに参加してくれた方々など、多数の方々のご支援をいただき
ました。
最初にウェブサイトを立ち上げた際、各種データを提供してくださった、himuさん。himuさんの作られていたデータベースが無ければ、このウェブサイトの価値は無いに等しかったでしょう。寄稿してくださったかいこうさん、おおいしげんさん、イラストを提供してくださったフミヤさん、あやせ☆めぐるさん、どうもありがとうございました。皆様のご協力のおかげで、このサイトが成り立っています。
1995年7月 : ウェブページを作り始める。
1994年の末くらいに、出来立てホヤホヤのNetscape0.9が学校のMacにインストールされていて、「ウェブってすごいかも」と思ったのが、そもそものきっかけ。でもまだ日本語のwrapがマトモに動かなかった。日本語がマトモに使えるようになったのはNetscape1.1からで、確か1995年の3月だか4月の頭くらい。この年の春休みは胃潰瘍でダウンしていたので、たぶん4月の頭だったと思う。んで、6月くらいまではサークルのページを作ったりして遊んでたんだけど、7月くらいに「大好きな岡野史佳作品のサイトを作ろう!」と思い立って、自分で半分くらいデータを作ったりした。それと、その頃のパソ通のお友達に「データないですかねー」とメールを出して助力を乞い、himuさんのデータを紹介していただいたり。そんなわけで、自分の作ったデータとhimuさんの作成されたデータをHTML化したものをあわせて、1995年の7月に、細々とウェブサイトを立ち上げました。この時点で、少女まんがについてのウェブサイトは数えるくらいしかなかったけど、それでも、既に岡野先生に関するサイトは1つか2つくらいあったように記憶してます。
1995年12月 : コミックマーケット49
晴海最後のコミックマーケット。いくつかの偶然(たてのんが年末にやっていたバイトが数日おしてしまった、NUTSがたまたま帰省してなかった、既にコミケに通っていた関隼に「明日はFC(少女)ですよ〜」とけしかけられた)が重ならなければ、たてのんとNUTSはコミケには行かなかっただろう。参加申込書も買わなかったであろう。運命のいたずらとは、こういうことを言うのである(←狂わされすぎ)。
1996年2月 : コミックマーケット50に応募
まず「コミケにサークル参加する」という命題が先にあったという疑惑の瞬間である。
1996年8月:コミックマーケット50・サークル参加
初めての活動として細々とコピー本を3冊ほど出版。確か、30部ずつ全部で90部持っていった。すべてコピーだとちょっと寂しいのでそのうち1冊の表紙はカラーにしてみたけど、カラーコピーにかかる時間を計算してなかった為にひどい目にあう。次回はオフセットにしようと思う。
1996年12月:コミックマーケット51・サークル参加
新刊を1冊、30部ほど発行。在庫があった為、小説誌を作るだけだったのだが、結構手間取る。当然、オフセットにするなんてすっかり忘れていた。その後、コピー本は面倒だということで参加者の意見が一致し、次回はオフセットということで合意。
1997年8月:コミックマーケット52・サークル参加
新刊は一冊も出ず再版のみ。50部発行したが、半分ほどしか売れず。当然、前回のオフセット化という合意はあっさり忘れ去られていたが、次回こそオフセットで本を作ろうと決意。
1997年12月:コミックマーケット53・サークル参加
新刊の小説誌を30部発行し、更に、キャラクター辞典の20部ほど再版。更に、完成したものの量産できなかった少年宇宙本は、一冊のみの展示。またもや、あっさりオフセット化断念。この頃、オフセット化を図るためには、原稿を3カ月以上前に集めなければならないということを学習。次回の締め切りは4月だと宣言(しただけ)。
1998年4月 : ウェブサイト消滅。
進学に関するゴタゴタで、4月から数ヶ月の間、ウェブサイトが消滅してました。更に、掲示板は1か月分のデータ消滅という悲劇が発生。プロバイダに移転しても、ガッコのサーバに置いても、結局こういうURLやシステム変更ってのはついてまわるわけで、この問題を最終的に解決するためには独自ドメインをとらなきゃ!と真剣に思い始めたのはこの頃から。といっても、まだDDNSも無く、URL転送サービスすら殆ど無い状態だったわけで、まともなサーバをいかにして確保するかがこの頃のテーマでした(本末転倒?)
1998年7月:fumica.comドメイン取得
というわけで三ヶ月ほど裏工作を重ね、独自ドメインを解説できるよーな場所を獲得。でも、死ぬ気でとったドメインなのに、とったまま2ヶ月間くらい放置してしまったことは秘密である。
1998年8月:コミックマーケット54・サークル参加
スタッフのほぼ全員が、就職もしくは就職活動により活動不能という厳しい状況。冬に落としてしまった少年宇宙本の原稿と、その他小説2編で小説誌「ビジョナリー2」を頒布。30部発行。就職活動中に原稿を集めることは殆ど不可能であることを悟る。次回こそオフセットという決意も新たに、終了直後から計画を立て始める。
1998年9月:www.fumica.com運用開始
バイト先サーバーにどさくさにまぎれて置いてしまうという、疑惑のサービスであった(というか、それが出来るバイト先を捜した、というほうが正しい)。半年も沈黙していたのに、結構来てくれる人が多くて嬉しかったです。
1998年12月:コミックマーケット55・落選
前回まではNUTSが出展責任者だったのだが、なぜか今回だけは、運の悪いことで有名だったたてのんが応募することになってしまい、案の定落選するという悲劇が発生。
1999年6〜7月:「岡野史佳エンサイクロペディア」制作
修士論文をひかえたたてのんは、論文を完全に放置して本を作っていた。まあ、研究室に行ってもマインドストームで遊んでいただけという説もある。
1999年8月:コミックマーケット56・サークル参加
今までの集大成となる「岡野史佳エンサイクロペディア」を制作、B5/100ページ・表紙カラー・オフセットで220部発行。まだまだ大量に余ってます。
2000年8月:コミックマーケット58・落選。委託参加
2000年4月よりスタッフ全員が社会人となる。しかも、またまた落選。2回連続である。逆境である。何かに祟られてますか?直前に、かいこうさんのサークルに委託参加させていただきました。でも新刊はナシで、販売物は「岡野史佳エンサイクロペディア」のみ。
2000年10月:第一回オフ会開催。
というか、この時点まで一度もオフ会が開かれていなかったということが、まあ、ある意味、サイトの性格をあらわしているというか。
2000年12月:コミックマーケット59・落選。
3回連続の落選だった。今から思えば、書類不備の可能性が濃厚である(駄目じゃん………)
2001年1月:www.fumica.comサービス停止
怪しいサーバーに置いておくことが出来なくなったため、www.fumica.comのサービスを一旦停止する。移転するときはデザイン一新だねー、と考えたのが間違いだったというか、要は、墓穴を掘って自分で落ちたたてのんであった。
2001年3月:www.fumica.comサービス復活
サーバーは移転できたものの、肝心の中身はさっぱりであった。
2001年8月:コミックマーケット60・サークル参加
2年ぶりなんだからオフセット、という掛け声も空しく、コピー本「Visionary3」を28部作って参加。まあ、本が落ちなかったことだけでも奇跡的である。というか、いつまで本を作り続けるのかというのがオレ内でホットな話題となっている。
2001年8月:www.fumica.com新装開店
なんとか中身も全部入れ換えて、営業再開。Planet-Fが存在しているのにまだ何かやることがあるのか、という自問自答があるわけですが、なんとかそれに答えられるようなサイトにしないとね。
2001年12月:コミックマーケット61・落選。
なかなか受かりません。
2002年8月:コミックマーケット62・落選。
2回連続落選。5回連続で受かっていた頃が夢のようです。
2002年12月:コミックマーケット63・サークル参加
またまた1年半ぶりに出展。毎回応募してるんだけど、なかなか通らないんですよね。最近はもう完全に個人サークルという感じで、小説コピー本を作りました。やっぱり、本は作りたい!と、毎回思いますね。今回出した「Moon Tripper」は、その時にどっぷりはまって聴いていたGutevolkさんの音楽に影響を受けまくってます。
2003年8月:コミックマーケット64・不参加。
とりあえず今回はお休みして、その次をどうするのか、考えています。
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