「alone」
words by 飛鳥一也
une mort tres douce ―――アンリ・フレアマン
私は、何をしておるんだろうなぁ。私は………。死というものが私に訪れる日は果たしてあるのだろうか。この意識が完全に消え去る日が。気がついたら、私は、「ここ」にいた。「トイズ・ヒル」。夢にまで見たこの世界の事だ。私の子供、私が精魂を込め作り上げた「コンラッド」がいる。そして、助手のジャンや人形のマドレーヌ、兎のルグリや猫のカノープス。そんな、ワシと共に生きる子供たちと、静かに暮らしている閉じた世界。あれから何年たったのか。それが一瞬なのか、それとも永遠なのか。全く分からん。過ごしてきた時間がいったいどれだけのものなのか、私らに知るすべは無い。過ぎ去った過去など、すべて夢幻としか感じられない。ただ、一つだけ言えるのは、これが、この静寂が、明日も明後日も続くということだけだろう。
しかし、私らはいつからこうしているのだろう。………。そうだ。最初はジャンはいなかった。ジャンもまた、私の世界へとやってきた人間の一人だった。はて、何故ジャンはここにやってきたのだろうなあ。私はこう言った。「きみも ねじがきれたかね」と。もしかすると、ジャンも私が作り出した人形だったかのう。そう思いはじめると、徐々にそんな気がしてきた。ジャンもわしが作り出した人形。そうだ。そうだった。
………私は寂しかった。寂しかった。コンラッドが死んだ時を、私は一生忘れないじゃろう。そして、私はもう、そんな想いを何度も何度も繰り返してきた。これ以上私は失うわけにはいかん。私は、そして、人形にすべての想いを込めた。そんな人形たちが生きる世界を、私は作り上げたかった。私はもう、誰からも何も奪われない為に、こうしてこの世界を望んでいたのだ。そして、その願いは叶った。ワシは、コンラッドやマドレーヌに命を与えた。そして、その命の源泉となるような生命をも、この世界へと導いたのだ。ジャンは、人形になった。私は生きている。コンラッドも生きている。ジャンが人間だろうが人形だろうが、そんなことは本当は関係ない。ワシのかわいい子供たち。もう私たちは、決して何かを失うことは無い。それが、決して失われない幸せというものではないかね?
しかし、私ももう疲れたよ。こうして生きていることに。私の子供たちが、愛を知ることはあるのじゃろうか。疑問に思う。愛をもたない暮らしに、意味があるのだろうか。否、そんなことを考える意味はない。私たちは生きている。ただそれだけの事だ。しかし、私がやっていることは、一体なんなのじゃろうか。遠い遠い記憶の中に、その理由を見いだすことは出来るじゃろう。しかし、こうして今も同じことをし続けていることは、本当に不思議じゃ。私はこの世界で、「宇宙」をも作り出す事も出来る。私はなんでも出来る。人形たちは、長い長い時間を生き続けている。時折、迷い込んでくる少女や少年もいるが、彼らはやがてどこかへ還っていく。そして、私らだけが残される。私は全能だ。しかし、私はもはや決して失うことだけは出来ない。
残された我々。この、永遠のポケットに落ち込んだ私と私の子供たち。私らは永遠の時間を生きる。永遠に幸せであれ。永遠に。この世界で。この私の世界で。一瞬は永遠で、永遠は一瞬。私らが生きているこの永遠の時間も、造物主の一瞬の気まぐれ。造物主の気まぐれは私のきまぐれでもある。しかし、一度開いた世界が閉じることは無い。世界は膨張する。おだやかな死に向かって。いつまでも、いつまでも。
大切な、大切な、大切な私の子供たち。永遠に生きよ!
Solitary Walker ―――-ジャン・ジャリー・レニエ
僕は時折、その場所を訪れる。博士の家に入り、二つ目の部屋を右に抜け、階段を下りると、古い埃にまみれた部屋に出る。そこは、博士の発明品が置いてある倉庫だった。見捨てられた発明品の中には、ガラスケースに入った一体の人形がある。かつて、僕の恋人だった人だ。名前を、マリユーズという。僕は夢の中で、彼女と一緒の時を過ごしていた。彼女は僕を愛し、僕は彼女を愛していた。けれど、それももう、遠い遠い昔の話だ。僕はここに生きている。
これはマリユーズじゃない。フレアマン博士の作った、ただの人形だ。でも、それはまるで彼女に見える。恐ろしいくらいに。今ごろ彼女はどうしているだろうと、ふと思う。そんな事を考えても無意味だ。分かっている。百も承知だ。けれど、僕がここにいなかったら、と考えることもある。ぼくは、その人形の手をとり、分解する。一つ一つの部品を取り外し、丹念に手入れして、また彼女に戻すという作業を繰り返す。そうすることが、彼女へのかつての想いを確認する行為なのかもしれない。しかし、その想いはもう死んでしまった。僕が壊してしまった。今はただ、どこかを生きている…生きていた…彼女が、幸せな時間を送ったであろうことを祈るのみだ。
部屋を出る。埃だらけの階段を登ると、偶然マドレーヌがそこにいた。彼女は「何をやっていたの?」と、その無邪気そうな表情で僕に言う。僕はなんとなく、自分がしていた事を言えなかった。そう。なぜなら、今の僕の恋人は、彼女なのだから。愛しい人形のマドレーヌ。彼女の前に出ると、僕は不思議と、何も言えなくなる。彼女はとても素敵だ。彼女は完璧に美しい。その透き通ったビスクの肌は、美というものを体現している。不完全な人間のそれではなく、彼女の肌は永遠にその美しさを湛え続けるだろう。その優雅な動きは、人というものが本来もち得る極限の優雅さをもっている。その優しくさえずるような声。彼女が僕を呼ぶ声は、僕がたとえどんなに深い眠りの中に沈んでいたとしても、僕の意識をこの世界へと導いてくれるだろう。そして、彼女のいたずらっぽい微笑みほど、僕を幸福にしてくれるものはない。
初めて出会った時の彼女は、透明だった。「わたしはなにもしらないの………」と囁く彼女の声を、今でも僕は鮮明に思い出すことが出来る。その、密やかな囁き。でも今は違う。僕が彼女を変えたんだ。僕が。僕が彼女に触るたび、そのたびごとに、彼女は僕に笑顔を向けてくれるようになった。今では彼女は僕を「ジャン」と親しげに呼び、その冷たい唇で僕に百万のキスをくれる。そのやさしいキスのために、僕はここにいるんだ。ふと思う。彼女は僕の事をどう想っているのだろうか。分からない。だから、人形に恋をするなんて非生産的だ、なんて言ってみよう。けれど彼女は、その言葉をさらりと受け流す。そうだ。僕の想いなんて伝わるわけがない。
だって、彼女は人形なのだから。僕がどんなに彼女を愛しても、愛しても、この想いが届くことは永遠に無い。僕は頭を掻きむしる。愛してる。でも、届かない。違う世界を生きる想いは、決してつながることはない。でも、僕は彼女に恋をしている。僕は、彼女の体の蓋を開け、彼女の中で動いているばねと歯車を見ることは出来るけれど、そのばねと歯車の中に流れている想いまでもは、見通すことが出来ない。僕は、彼女の事が分からない。僕の想いは、彼女に届かない。でも。永遠に届かなくても、愛することだけは出来る。だから僕は、この世界を、永遠に一人で生きる。
寂しくなんかない。彼女がいるから。
Birth ―――マドレーヌ
私の歯車が今日も廻っているように、ジャンの歯車も、私と同じように廻っているのかしら。今日もジャンは、フレアマン博士の古い倉庫へ足を運んでいるね。それに気付いたのは、いつだったかな。ドアの後ろからそっと覗いたの。ジャンが見ていたのは、古ぼけた人形。確か名前は、マリユーズ。彼は、その人形を愛しそうに見つめて、時折、髪をなでていたことが、私の記憶に永遠に刻まれてる。私には、見せてくれない表情をしながら。その瞬間、私の中に生まれた、言いようのない不思議な気持ち。これは何なのかな。彼は、彼女の手を取り、器用な手つきで分解しはじめて、その一つ一つの動きは、彼女に対する愛に満ちているのね。私には、そんな微笑み、向けてくれない。
私が知らない彼。そう。私は何も知らなかった。この私に色々な気持ちをくれたのは、あの人。何も知らなかった私を導いてくれた。人形のこと。空のこと。海のこと。鉱石のこと。星のこと。宇宙のこと。チェスのこと。人間のこと。そして、あなたを好きという気持ち。でも、私が私である前から、あなたはあなただった。私は、永遠にあなたに追いつくことなんて出来ない。永遠に。だから、私はあなたを困らせる。あなたは私が何をやっても、笑って許してくれるね。なぜなのかな。そして、あなたは、ひととおり人形を組み立てると、もとの場所に戻して彼女をしばらく見つめてた。二人の間に何があったかなんて、私は知らない。私はもう、長い長い時間を生きているけれど、永遠に縮まらない差が、あなたと私の間には、あるのね。
戻ってきた彼に、それとなく聞いてみたの、私。階段から上がってきたあなたに、偶然会ったみたいにしてね。あなたは笑ってごまかしたわ。だから私は、今でもその人形が誰なのかを知らないの。フレアマン博士に聞くのは怖い。私たちが毎日を繰り返している限り、この単調な日々は永遠に続くのでしょう。私は、自分から、この平穏な日々を壊せない。だから、ジャンがいつか私に話してくれるのを待っている。その内に抱いている遠い記憶を。
今日も、彼は私と会う。毎日毎日、そうしているように。そして、明日も、明後日も、ずっと先も、そうするように。朝は森の散歩。昼は街で綱渡りで遊んで、午後にはコンラッドやカノープス、ルグリたちと楽しいお茶。夕方はいつもジャンとチェスをして過ごすわ。ジャンはもう私に勝てないから、いつも困ったような笑顔を浮かべて、私の事を見るね。そんな彼に、私は意地悪するようにキスをする。長い長いキスをする。届かない。けれど、私たちはずっと一緒。永遠に、この世界で、生きるはずなのに。でも、私は彼にとって永遠に人形なのね。その事だけは、はっきり分かるわ。どんなに離れていても、届かなくても、あなたへの想いは、ただ一つの言葉は、私のばねと歯車の中に閉じ込められているのね。でも、あなたは、そのただ一つの言葉を、私にだけはくれない。だから、私も言わない。
愛してる………。
(了)