真夏

Words : 関 隼

 窓越しに聞こえる蝉の声とクーラーの唸りを背負って、男は眼前の難題に敢然と挑戦していた。その目の前には、涼やかな朝顔の絵が添えられた一通の暑中見舞いがある。彼の筆が走る。
{暑中お見舞い申し上げます。お元気でしょうか?水不足の報が聞こえる盛夏の折り………}
 男はそこまで書いてハタと手を止めると、顔を真っ赤にさせながら葉書を破り捨てた。
「あーつ!やめやめ!」
 一つ伸びをしながらため息を吐くと、彼は誰に言うとでも無くぼそりと呟いた。
「こんなの、がらじゃないよなぁ………」
 誰に責められてる訳でも無いのに、彼は自己弁護に言葉を費やす。
「大体、文章は苦手なんだよ。青木じゃあるまいし、何で俺が………」
 机に突っ伏して窓越しに空を見る。あの頃程ではないが、相変わらず夏になると空が自分を誘っている気がする。そう、あの頃程ではないが………
[空飛んできたから、トリかと思った。ふふっ]
[わたしにききたいことって、なんです?]
[………あなたは、描くわ]
 高校三年の、陽炎の様な思い出。ぐちゃぐちゃのジグソーパズル、少し変わった少女、そして、屋上の空と………海。あの少女は、約束を覚えているのだろうか?あの空と海は、今どうなっているのだろうか?
「俊一?しゅ・ん・い・ちー!」
 物思いにふける彼を引きずり上げるように、階下から母親が彼を呼ぶ。
「お電話よー!博泉社の吉岡君から!」
「わかったよ!」
 二階の自室を出て、怠惰な自分を責める目をした母から受話器を受け取る。
「もしもし、お電話代わりました」
「よお、俊ちゃん」
 出会い頭の吉岡の一言に、彼の腰は完全に砕けた。
「………おまえなぁ、その呼び方やめろって何回も言ってるだろ?」
「いいじゃんか。岸田俊一だから俊ちゃん。俺はベスト・ネーミングだと思うんだけど?」
 ただでさえ腰が砕けている男〜岸田俊一〜に対して、吉岡は容赦無い追い討ちをかける。
「………それで、何の用だよ?」
 何とか話題を変えようとする俊一の一言を受けて、吉岡は言いにくそうに本題を切り出した。
「うん、その………今、お前がやってるカット描きな?あれ、今号からコーナーを刷新する事になってな、あの………」
「………お払い箱って事か」
 あっさりとした俊一の言葉に、吉岡は言葉を詰まらせた。
「いや!そういう訳じゃないんだ!いいか?よく聞けよ。お前になぁ………」
「長い間世話んなったわ。じゃあな」
 俊一が受話器を下ろす。吉岡の言葉は彼の耳に届いてはいなかった。
「どうしようか………」
「俊一どうしたの?電話の前で呆けちゃって。ご飯よ」
 台所からやって来た母親が彼を呼ぶ。
「ああ、今、行くよ」
 俊一は言葉に引きずられるように食堂へ歩き出した。

「それで、お電話何だったの?」
 そうめんのつゆに薬味を入れながらの母親の質問に、俊一は言いにくそうにボソリと答えた。
「………無職に、なった」
「え?」
 自分の耳に聞こえた単語が信じられず、母は俊一に尋ねかえす。彼は顔を上げて、今度ははっきりと母に告げた。
「連載の仕事が、なくなった」
 と。
「それで、どーするのよ」
「どうするって言っても………どうしようもないよ。仕事が全部なくなったわけじゃないから、連載が回ってくるまで待つだけさ」
 俊一の言葉を聞いて、母は深くため息を一つついた。
「あんたねぇ、おとーさんにあれだけのタンカ切ったんだから、もっとしっかりしなさいよ」
「………ごちそうさま」
 俊一は何も食べずに立ち上がると、食堂を出て自分の部屋に戻って行った。母は再びため息をつく。
「まったく、いくつになったらあの子は落ち着くんだか………」

 クーラーの唸りを聞きながら、俊一はベッドに寝そべって天井を見つめていた。
(それで、どーするのよ?)
 母の言葉が、俊一の中で反響を続けていた。
「どうしようも………ないよなぁ………」
 寝返りを打ちながら、自分の言葉を反芻する。壁を見つめながら、俊一はその向こうに母校の屋上を見ていた。柵を背に自分とあの娘が座り込んで、何かを話し込んでいる。
[絵本作るったって………どんなんだよ?]
[たくさんの人に見てもらえるようなのっ]
[よくわかんないなあ………だいたい、絵本ってことは児童文学向けの絵を描くってことか?おれ今まで、そんなの描いたことないぞ]
[いいの!とにかく約束しましょ。ね?]
[あ、ああ………]
 そこに居るのは確かに高校時代の俊一だったが、今の彼には、どこか別の世界の人間としか思えなかった。
(こんなんで、あの時の約束、ほんとに守れるのかな………)
 俊一は唇を噛むと、壁の向こうで楽しそうに笑っている少女に向かってボソリと呟いた。
「青木………おれ、約束守れるかなぁ」

 長くなった夏の陽が沈むとともに、俊一はこそこそと実家から出ていった。連載が中止になった事を帰って来た父が知れば、必ず言い争いになるだろう。彼はそんな面倒な事に付き合いたくはなかった。母は引き止めたが、彼は一言、
「また、来るから」
 と言い残して家を出た。
 バスを降りて駅のベンチに座り、小物の入ったバッグを下ろすと、俊一は深いため息をついた。
「はあぁ………」
 実家にいるのは嫌だったが、このまま仕事場に帰るのも気が乗らなかった。かといって、財布の中身はさびしく、とてもどこかに傷心旅行としゃれ込めるものではなかった。
「何を、しようかな………」
 所在なげにさまよう眼が、ある看板を見据えて止まった。看板の文字は
[今迄の自分すてて、知らない人に出会いたい]
 俊一はその文面に肯いた。
「そう、だな。どこかに………行こうか」
 勢い込んで切符売場に来た彼の眼が運賃表の上をさまよい、そして一つの駅名の上で止まった。そこは、彼の高校のある海沿いの駅だった。
(もう一度、あそこに戻るか………)
 約束を守る自信が揺らいでいた彼にとって、約束を交わしたところに戻ってみるということは、とても魅力的にみえた。
(おれは、また確かめたがっている。悪いクセだな)
 苦笑しながら、券売機に小銭を入れて切符を買うと、俊一はホームに向かって歩き出した。

 時間は戻って、この日の昼。博泉社の吉岡は受話器を持ってため息をついていた。
「まったく、あいつはどうも一人で思いつめるところがいかんな………ま、しょうがない」
 彼は気を取り直すと、再び別の電話番号をプッシュした。回線がつながって数秒後、相手は受話器を取った。
「はい、もしもし?青木ですが」
「もしもし、博泉社の吉岡と申す者ですが………」
 電話の向こうの女性が吹き出した。
「あっははは………おっかしい。やっぱり吉岡先輩、そのしゃべり方声にあってませんよ」
「うるさいな。しょうがないだろ。こちとらお前と違って会社員なんだから」
 吉岡は少々むくれたが、それでも用件を話しはじめた。
「岸田に電話かけたんだけどな」
「はい」
「あいつ、なんか勘違いしたみたいで、こっちの話し聞かずに電話きりやがった」
「そうですか………」
 女性の声が沈む。しかし吉岡は事実だけを正確に伝えた。
「夕方にかけ直してみようとは思うんだけど、あいつのことだから、俺の話をきちんと聞くかどうかわかったもんじゃないし………」
 受話器の向こうは、しばし無言だったが、やがてはっきりとした言葉が返って来た。
「わかりました。岸田さんにはわたしが話しておきます」
「ちょっと待てよ青木。どうやってお前が話すんだ?」
 吉岡の問いに、女性は軽く笑った。
「会って話すんですよ。それしかないじゃないですか。それじゃ」
「おい、ちょっと待て!おい青木!」
 吉岡の制止も虚しく、通話は途切れてしまった。受話器を戻しながら、吉岡はため息をついた。
「こいつも人の話を聞きゃあしない………もう俺は知らん!」
 吉岡は立ち上がると、茶を飲みに歩き出した。

「さて、と………」
 吉岡に青木と呼ばれた女性〜青木知也子〜は受話器を置くと、一つ伸びをして微笑んだ。
(おひさしぶりですね。岸田さん)
「わたしも、ここまで来ましたよ」
 知也子は受話器に向かって呟いた。

「しまった………」
 ホームに降り立った瞬間、俊一は自分の不明を恥じた。
「もう、夜なんだよな………」
 ホームから見える景色は煌煌と瞬く街灯に照らされた建物達であり、太陽に照らされたそれではなかった。しかし俊一は、今更戻る気にもなれなかった。
「まあ、いいか」
 改札を出て、駅前通りをとぼとぼと歩く。夏の夜風は涼しく、俊一は取り留めの無い事を考え出していた。
(だいたい、おれもよくやるよなぁ………)
 大学入学後、俊一は両親を説き伏せて[成績が平均点を下回らない事]を条件に美術系の専門学校にも入学した。そして、専門学校のコネを使ってイラストレーターとしてのデビューを決めてしまったのだ。当然父が許すはずも無く、その日の夜、俊一と父は一世一代の大喧嘩をした。
[イラストレーターだと?俊一、父さんはそんな事を許した覚えはないぞ!]
[許してもらったおぼえはないよ。でも、これがおれの夢だったんだ。とーさん、たとえ若いうちに芽が出なくても、おれは約束したんだ]
[約束だと?俺にはそんな事は関係ない!いいか俊一、今お前が見ている夢はなぁ、幻想って言うんだ!]
[とーさん!いくらとーさんでも言っていいことと悪いことっていうのがあるよ!]
[何だと!]
[畜生!………]
(あの時の腫れ、三日はひかなかったっけ………)
 痛くも無い頬をさすりながら、俊一は苦笑した。結局大立ち回りの末に父親を説き伏せ、彼はイラストレーターとしてデビューを果たした。しかしその後も思う様に仕事が増えず、食い詰めていた時に助けてくれたのは、高校の時の同級生である吉岡だった。
[よう、俊ちゃん]
[おまえ………吉岡か?じゃあ博泉社の編集さんっていうのは………]
[俺の事だよ]
[そう、なのか。まあ………いいや。あの、これが作品です]
[よせよ、今更そんな他人行儀な事。この仕事はなぁ、同窓の友人の更なる飛躍を願っての俺からのプレゼントさ]
[え?]
[編集長の了解も取ってある。来月からこれがお前さんの仕事さ]
[吉岡………!ありがとな]
[なあに、良いって事よ。さあ、これから祝杯でもあげに行くか?………]
(あの時は、約束までもうすぐだって、思えたんだけどなぁ………)
 そこまで考えると、俊一は立ち止まって我が身を振り返りはじめた。
 最初は波。「波の色」が描きたくて、絵筆を取った。そのまま絵を書き続けて、高校の時にあの娘に出会った。麦藁帽子の良く似合う、変な名前の犬を連れた、ショートカットの、独特のセンスを持った、最後の答えと宝物を持った少女に。彼女は彼と約束を交わすと、微笑って自分の名前を教えてくれた。
「知也子」
 と。そして今、彼は約束を果たそうと努力を続けている。しかし現実は彼に甘い顔をせず、気がつけば彼は唯一の連載の仕事を失って無職。そして金もろくに持たずに夜の母校の周りをふらふらとうろついている。
(どうしたらいいんだろう………)
 もはや何度目とも知れない自問が彼の中を駆け巡る。答えを捜し求める彼の前に、暗闇の中そびえ立つ建物が現れた。高校の時の彼に回答をくれた建物………彼の母校であった。

「もしもし、私青木という者ですが、俊一さんはご在宅でしょうか?」
「はぁ、俊一ですか?ちょっと前に仕事場に帰るって、ここを出ましたけど………」
 期待外れの答えに、知也子は肩を竦めた。
「あの、どうもすいません。失礼しました」
「はぁ………」
 俊一の母に挨拶し、受話器を下ろしてため息をつくと、知也子は家の外にある犬小屋へやってきた。一匹の老犬が彼女にじゃれ付く。
「ねぇ、犬山さん」
「わふわふわん!」
「ずいぶん前に、海岸で散歩してた時に会った岸田さん、覚えてる?」
「わうんわふん!」
 犬山さんと呼ばれた老犬は知也子の質問を理解しているかのように吠えた。
「じゃあ、岸田さんがどこにいるか分かる?」
「わんわんわおぉん!」
 犬山さんの答えを聞いて、知也子はにっこり微笑むと、犬山さんの首の鎖を解いた。
「じゃあまずご飯にして、それから岸田さんを探しましょう。ね?」
「わんわんわん!」
「よろしい」
 知也子は肯くと、家の中に戻っていった。

 俊一は、途方に暮れていた。
(ここまで来たのはまあいいとしよう………だけど)
 彼は首を横に振る。
(何で夜の学校は門が閉まってるってことぐらい思い出せないんだ?)
 自分を責めては見たものの、それで何かが解決するわけではなく、俊一は校門の前に立ち尽くしていた。すると………
「おい!そこにいるのは誰だ!」
 突然校内から俊一に強い光と誰何の声がかけられた。俊一が答えずにぼんやりしている間に、光はどんどんこちらに近づいてくる。
(え、あ、や、その、わたしはあやしい者なんかじゃなくて………)
 俊一が考えをまとめようとしている間に、光は彼のすぐ近くに来てしまっていた。
「お前さん、そんな所で何やってるんだ?」

「そうか………あんた、苦労してるねえ」
 冷たい麦茶を飲みながら、用務員は肯いた。
「でもねえ、あんた。何があってもあきらめちゃあだめだよ!分かるかい?」
「はあ………」
 麦茶を一口すすりながら、俊一はなぜこんな事になったのか自問を繰り返していた。今彼がいるのは用務員室。彼はあの後用務員にここまで連れてこられ、状況を説明させられた上に説教を受けていたのである。
「俺にだってつらい時期はあったよ、そこを乗り越えた時にみえた事って言うのはねえ、人間あきらめたところが最後なんだって事よ!」
「はあ………」
「あんたはまだ若いんだ。こんな所であきらめてどうする?もっと気を確かに持ってだなあ、がんばれば何か見えてくるって!なあ?」
 どうやら彼は俊一が人生に疲れ、懐かしの母校で自殺を図ろうとしたと思っているらしい。
「そうですねぇ………」
 と相槌をうちながら、彼は心の中で、ひたすらにある一人の女性を探していた。

 説教もいつのまにか終わり、俊一は用務員室の畳にごろりと寝転がっていた。用務員は隣りの間で眠っているが、彼の目は冴えたままだった。しばらく努力を続けた後、あきらめた彼は用務員を起こさぬようにこっそり部屋を出た。
「おじさんには悪いけど、しょーがないよな」
 一人で呟いて、彼は三階の廊下にやってきた。ここから海を見ようというのである。
「あそこには、いけないよなぁ………」
 景色という点で言えば、約束を交わしたあの場所が一番なのだが、俊一はあそこに独りで行く気がしなかった。
「あ………」
 三階まで上がった彼が見たものは、未だ暗い闇に沈む鉛色の海だった。
「こんな海は、見たことないな………」
 自分にこの色が書けるだろうか。
(まだまだおれも未熟なんだなぁ)
 自分がまだまだ至らない事を知って、俊一は何故か自分の中に笑いが湧き起こるのを止められなかった。
「は、ははっ。はははははっ」
(そうだよな、まだまだおれなんかあの世界じゃひよっこなんだから、たまには仕事が無い時だってあるさ。何をそんなに深刻になっていたんだろう!)
 そう思うと、彼は今迄自分が持っていた重苦しい考えが晴れてゆくのを感じた。それにあわせて、海にも変化が訪れていた。
「日の出か………」
 その日初めての太陽の光を浴びて、海は様々な色を彼に見せた。その蟲惑的な風景に心奪われた俊一は、勢い良く階段を駆け降りた。

 砂浜を、歩く。靴の下から伝わる砂の感触を楽しみながら、俊一はただひたすら砂浜を歩いていた。波の音は心地よく、彼は幸せに頬をゆるめていた。
「ああ、いいもんだなぁ………」
 と呟いたその時、彼の後ろで何かが吠えた。
「わうわうわふん!」
「うわああっ」
 突然の事に仰天した俊一が後ろを向くと、そこにいたのは一匹の老犬だった。俊一は犬の顔をしげしげと眺めると、ある一つのひらめきを掴んだ。
「もしかして………犬山くん?」
 その問いに答えたのは、老犬ではなかった。
「今は、犬山さんって呼んでるの。だってもう君って歳じゃないんですもの」
 俊一が声の方を向くと、そこには昨日あんなに会いたかった女性が立っていた。
「あおき………」
「おひさしぶりですね、岸田さん」
「あ、ああ………何年ぶりだろうなあ。会いたかったよ」
 俊一の言葉に、知也子はにっこり微笑んだ。
「わたしも」
「そうか、元気そうだな。今、何してるんだ?」
 俊一の問いかけに、知也子は笑って口に指をおいた。
「それは、まだちょっと」
「秘密ってわけか。まあいいや。なぁ、立ち話もなんだし、どこか行かないか?」
「そうですね」

「わあっ」
 知也子の顔が喜びに輝く。
「やっぱりここからの眺めは最高!」
「ああ………」
 俊一は呆けた顔をして肯く。彼らは今、約束の場所にいた。
「ねえ、岸田さん?」
「なんだよ」
 知也子は笑いながらきつい事を言った。
「今、お仕事ないんですって?」
「げっ!なんでそんな事知ってるんだよ」
 俊一は狼狽した。
「この前吉岡さんに連絡を取ったら、持っていた連載が中止したって」
「まったく、あのヤローは!………ちょっと待って、青木はなんで吉岡と連絡なんかとったんだ?」
 知也子は犬山さんの肌をなでながら、俊一に笑いかけた。
「私の秘密、教えますね」
「なんだよ」
「私、今度デビューするんです。博泉社から」
 その言葉に、俊一は顔をほころばせた。
「そうか………おめでとう」
「ふふっ。ありがとうございます。それでですねぇ」
 知也子は悪戯っぽい表情で俊一に話を持ち掛けた。
「岸田さん、私が仕事を紹介しましょうか?」
「へえ、青木、こねなんか持ってたのか。それで、どんなのだ?」
「挿絵のお仕事ですよ。博泉社の児童文学新人賞受賞者のデビュー作の挿絵を描くんです」
 知也子の言葉に、俊一は驚いた。
「大仕事じゃないか!何でそんな大仕事を………」
 そこまで言った時、俊一はある事実に気がついた。知也子は一生懸命笑いをこらえている。
「そうか………その受賞者っていうのは!」
 知也子はとうとうこらえきれずに笑い出した。
「あははははっ。そう、私が今回の博泉社児童文学新人賞の受賞者なんです。ねえ、岸田さん」
「なんだよ」
 からかわれた所為か、俊一は不機嫌そうだった。
「私、約束を守りに来たんですよ。あの時の約束、覚えていますか?」
「ああ………忘れるもんか。あの約束のために、おれは今こうしているんだから」
「そう!よかった………。ねぇ、岸田さん」
「ん?」
 知也子は初めて俊一に名前を教えた時のような、綺麗な微笑みを浮かべた。
「やっと、ここまで来たね」
「ああ」
「最高の絵本、作ろうね」
「もちろんさ!」
 俊一の強い言葉に、知也子は満足そうに頷いた。
「よーし!今日は前祝い!岸田さん、犬山さん!遊ぼう!」
「よおし!」
「わうわうわうわうううん!」
 そして、二人と一匹は何かにはじかれるように走り出した。

 二人の作品、絵本「海育ちの風」は物凄いロングセラーとなり、青木知也子と岸田俊一の名前は一躍有名となる。その始まりは十年前、ある高校の屋上で交わされた他愛の無い真夏の約束だった。

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[$Id: summer.html,v 1.1 2001/08/19 14:39:29 lapis Exp $]