勇気

Words : 関 隼

「なあ、由高」
「………なんだ?」
 炬燵の中の女性の問いに、ベッドに寝転んだ青年は不機嫌そうに応じた。
「なんでそんなとこに居るんだ?こっち来いよ」
「あのなあ、里紗」
 青年〜由高と呼ばれた〜は、自ら里紗と呼んだ女性に向かって自分の憤りを解説しはじめた。
「確かに今は冬だ。寒くて、コタツが恋しいのも分かる。だからってなあ、コタツを買って来て、おれの家の!しかもおれの部屋に置く事は無いだろうが!」
「なんで?」
 由高の懸命の説明も、里紗は一言で粉砕してしまった。
「何でって…………おまえなあ!」
 地獄から這い上がって来た男の反撃に、里紗は容赦無い追い討ちを叩き込んだ。
「あたしはぁ、由高と入りたいから持って来たんだけど………」
 少し鼻にかかった声と共に、里紗の体が由高に向かってしなだれかかる。瞬間、彼の顔が鮮やかな赤に染まり、それを見た彼女は、思い切り吹き出していた。
「ぎゃははははははは!何だよその顔!由高真っ赤っか!」
「………うるせーよ」
 バツ悪げな由高の顔を肴にまたひとしきり笑った後、里紗は彼に優しく微笑んだ。
「こっち来なよ、由高。一緒にコタツ、入ろうぜ」
「………ん」
 由高はもそもそと炬燵布団を押しのけ、足を中に入れる。里紗と差し向かいの炬燵は足だけではなく全身を暖め、暖房をつけるよりも遙かに暖かい物だった。
「あったかいだろ?」
「あ?ああ………」
 胸のドギマギを止められない由高の答えは、何とはなしに上の空で、里紗は頬を膨らませた。
「何だよ。せっかくのコタツもあたしとじゃあ全然暖かくないって言うのか?」
「いや、いや!そうじゃ………ないんだ」
 はっきりしない由高の答えに、里紗の不機嫌は更にパワーアップする。
「じゃあ何だよ。あたしには話せないような理由があるって言うのか?」
「ちがう!そうじゃなくて!………ただ、おまえと差し向かいってやつに、緊張してるだけだ」
 視線を逸らした由高の顔が、茹でたタコの様に真っ赤に染まる。それを見た里紗の顔も、いつの間にか赤く染まっていた。
「バッ!………何、言ってんだよ。キスする時とか、もっと近づいてるじゃないか」
「それとこれとは、また別だよ。………おまえも分かるだろ?」
「ま、まあ、な」
 沈黙した二人の顔は更に赤く赤く染まり、最早そこに存在するのは人の頭と言うよりも二つの林檎と言った方が良い物だった。
「そっ、そういえば、由高最近どんな事やってるんだ?」
 急激な里紗の話題転換に戸惑いながらも、由高は正直に答え始めた。
「最近は………映研行って、柳楽監督んとこ行って、勉強して・・・後はおまえの出てる物を見る位だな」
「ビデオは?」
「ああ、撮ってるよ」
 その答えを聞いた時、里紗の眉がピクリと動いた。
「………あたしもいないのに?どんなのを?」
「どんなって………その………」
 はっきりしない由高の答えに業を煮やした里紗は、炬燵からできるだけ体を出さないようにキャビネットににじり寄った。
「もういい。勝手に見せてもらうから。これだよな?」
「そうだけど………」
 由高が答えるか答えないかの内に、里紗はケースからテープを取り出し、勢いよくデッキに差し込んだ。すかさずテレビの電源が入り、テープの再生が始まる。

 様々な人々が笑い、喋り、怒り、走る。そんなテープが回り続ける間、二人の間には「沈黙」の二文字が静かに横たわっていた。

「何だよ………これ」
 ビデオヘッドの駆動音が終わると共に、うなるような里紗の声が二人の沈黙を終わらせた。その声にイヤな予感をひしひしと感じながらも、由高は答えない訳には行かなかった。ここで答えなければ、里紗の事だ。締め上げてでも白状させようとするだろう。
「何だって言われても、その、そのだなぁ。イメージビデオとしか………言えない」
 どこが気に障ったのか必死に探りながらの由高の言葉に、里紗は顔を由高の方に向けようともせずにいつもより抑揚の少ない声で、第二の質問を飛ばした。
「何でだよ」
「え?」
 聞き取りきれなかった由高の返事に反応するように、里紗の語調は強くなる。
「何でこんなもん撮ってんだよ!」
「どう言う事だよ?」
 質問の意図を理解できない由高の問いに反応して、答える里紗の語調は激怒している時と同じものになっていた。
「こんなビデオ撮った理由を聞いてんだ!」
「それは………」
 あまりに激しい里紗の言葉に気圧されながらも、由高は釈明するように理由を説明し始めた。
「俺、この前初めて柳楽監督の所に行ったんだ………」

「よお、君が羽島………」
「由高です!よろしくお願いします!」
 どこにでもあるような住宅街の少し奥。これまたどこにでもあるようなマンションの一室で、羽島由高は人生で何度目かの衝撃の出会いを実感していた。様々な資料―――ではないかと想像するしかない物ばかりである―――によって雑然としたその部屋の中に、憧れのあの人がいた。白い物が混じったぼさぼさ頭に額の捻り鉢巻。父親と同い年とはとても思えない若々しい風貌で………何故か、そう何故か、彼は牛さんパジャマを着ていた。彼の職業は映画監督。その名を、柳楽一馬と言う。

(何で、何で………そんなパジャマ着てるんですか?)

 その一言を喉でぐっと押しとどめ、由高がもう少し当たり障りのない言葉を選ぼうと意識を巡らせた時、柳楽が口を開いた。
「話は、君の親父さんから聞いてるよ。ところでどうやら、この格好が気になるみたいだな?」
「は、はあ………」
 核心を突かれたせいか、由高は言葉を濁す。
「まあ、仕方無いな。初めて見たんだし………一応教えとこう。この格好はな」
「はい」
 人差し指を立てて格好の真意を説明せんとする柳楽に引き込まれるように、由高は身を乗り出した。
「俺の趣味だ」
「へ?」
 由高の思考が完全に停止する。その回復には、実に十数秒の時間を必要とした。

「あ、あの………」
 滲む脂汗を拭いながら、由高がようやく口を開いた時、柳楽はにやにやと笑いながら
「冗談だ」
 と宣った。
 再び停止した由高の思考は、回復にまた少々の時間を必要とした。

「お、俺をおちょくってんですか!」
 由高の叫びを無視して、柳楽は勝手に話を進め始めた。
「まぁ、基本的にはウチのスタッフとして働いてもらうんだが、 今ちょうど企画を立ててる最中で、下っ端は暇なんだ。そこで………」
「そこで?」
 由高はオウム返しに尋ね返す。
「なんか撮ってこい。題材は何でもいい。とにかく撮って、それを俺に見せてみろ。まぁ、新入りへの宿題って所だな」
「は、はいっ!」
 勢いの良い由高の返事を聞いて、柳楽がくっくっと笑った。
「良いシャシン、楽しみにしてるぜ。自分が、何の為にこの道行こうとしてるのか、分かる位の奴がいいな」
「はいっ!」
 由高の目はやる気にきらきらと輝いていた。

「………ってわけさ。分かったか?」
 回想混じりの長い理由説明を終えて、由高が長い息をつく。それに合わせるように、里紗が彼の方を向いた。
「だから?」
「だから?って………何だよ」
 質問の真意を測りかねて、由高は困惑している。しかし、そんな事は里紗の意識の範囲外だった。
「何であたしじゃなくて、こんな女でビデオ作ってんだよ」
「何でって………おまえ仕事あるじゃないか!『すいません、ビデオ撮るんで………』なんて言って割り込みなんかかけられるかよ!」
 里紗のわがまま(としか由高には思えない)に対して、必死の反論を試みる由高を見て、里紗は明らかに幻滅の色を表情に見せた。
「そんな事じゃないんだよ。由高………分からないか?本当に?」
「俺はおまえが何言ってるかわかんねぇよ!」
 由高は言ってしまってから今の言葉が失言であることに気づいた。その証拠に、里紗の顔が怒りで赤く染まっている。
「そ、その。あの、里紗?落ち着けよ?な?これ以上大騒ぎを起こすと、俺達一家がここを叩き出されちまうんだ。後生、後生ですから………」
「もういい!」
 由高の言葉は、その一言に遮られた。
「もういい…………由高。あんたがそんな奴だって、思わなかった」
 そう言いながら、里紗が立ち上がる。ベッドのそばに無造作に放り出してあった上着を手に取り、そのままドアに向かって歩き出した。
「おい、どこ行くんだ?」
「帰る!」
ドアは乱暴に閉まり、後には何がなんだか分からない由高が炬燵と共に取り残された。

「はあ………」
 深いため息は完全に場を白けさせた。
「おまえさあ、久しぶりに会った人間に対して、それはないんじゃない?」
 ジュースのグラスに差してあったストローが由高の額を打つ。彼の前には大学に入ってから久しく会っていなかった悪友・・・加治がいた。
「あ、ああ………悪い」
 気のない謝罪をした後に続けて、二発目のため息が炸裂した。
「はあああ…………」
「いーかげんにせい!」
 今度は角氷が眉間に直撃する。
「何すんだよ!」
「おまえこそなあ!」
 お互いに襟首をつかんで立ち上がる。とその時、二人は同時に何か痛い物を感じた。周りを見ると、それほど広くない喫茶店の中にいる客全員が彼らに注目していた。何とも気まずい雰囲気の中、二人はそろそろと席に着き、顔を近づけて会話を再開した。
「何だよ。何かあったのか?」
「ああ………里紗がな」
「あの女今度は何をしでかしたんだ?」
 「里紗」と言う単語がでた瞬間、加治の表情はあきれた物へと変わっていた。
「よく…………分からないんだ」
「どう言う事だよ?」
 加治の言葉を引き金に、由高は自分が分かる範囲内で事の顛末を話し始めた。

「………はあ」
 由高が話し終えた後、少々の間をおいて加治は肩をすくめた。
「そりゃおれにもわからんわ。相談相手を間違えたな。由高」
「………別に、お前に答えてもらおうなんて思っちゃあいないよ」
 その言葉に、加治は再び肩をすくめた。
「へいへい。悪かったよ。………それにしても、おまえさあ」
「何だよ」
「なんか、変わったよな。会わなくなってからしばらくたつけどさ………なんて言うか、思い詰めた顔してるよ」
 加治の指摘に、由高は少なからず驚いた。
「そんなにひどい顔してるか?」
「ああ。もうどん底って感じだな。………シャシンの道は、厳しいか?」
 加治が由高の瞳をのぞき込む。
「そんな風に・・・見えるかな」
「それくらいしか、思いつかないって事さ。おまえの場合、恋路と人生の道がイコールだからな」
 由高はイスの背にもたれながら深く息を吐いた。加治はそれを見てつぶやくように言った。
「楽しく………撮ってるか?」
「え?」
 つぶやきを聞き損ねた由高の尋ね返しに、加治は微笑んだ。
「なんか、気負いすぎてねぇか?思い出せよ。里紗の動き、一つ一つにドキドキして、どうしたって目が離せなかった頃の事………」
「忘れてるわけ、ねぇだろ………俺だって、忘れてねぇよ。ただ………」
「ただ?」
 由高は、テーブルの上の左手を、右手でぎゅっと握りしめた。
「里紗に、置いてかれそうで………不安なんだ」
「そうか………ま、思い出すこった。」
 加治は伝票をつかんで立ち上がった。
「おまえがどんな気持ちで………シャシンを始めたのかを、な」

「どうしたの?里紗ちゃん。元気ないじゃない。大丈夫?」
 お茶を里紗の前に置きながら、マネージャーが尋ねる。控室の鏡の前で、里紗はやぶにらみに自分の顔を見つめていた。
「………大丈夫。仕事はできるよ」
「そお………じゃあ、私用事あるから。本番前にまたね」
 里紗の返事を信じて、マネージャーは部屋を出ていった
「は………」
 髪を掻き上げて、嘆息する。
「あんなの、撮ってたんだ………」
「あんなのって、どんなのだい?」
 あるはずのない反応に、里紗は驚いて振り向いた。
「〜っ!のぞきなんて、悪趣味だぞ!ロリコン将生ちゃん」
「のぞこうなんて、思っちゃいないさ。僕は激励にきたんだよ?元気のない里紗ちゃんの、ね」
 振り向いた先の人物〜プロデューサー・天城将生〜は不敵に微笑んだ。
「由高君と、なんかあったのかい?」
「ケンカしたわけじゃ、ないんだ」
 里紗は規制を先して告げる。
「じゃあ、どうしたんだい?」
「由高が………由高が、あたし以外の女を、撮ってたんだ………」
 将生は自分の問いに対しての里紗の答えを理解しかねた。
「それが………どうかしたのかい?」
「あいつが………あたし以外の女を………あんなにきれいに………撮ってたんだ………」
 その言葉に、将生はうつむいた里紗の目をのぞき込んで、ニヤリと笑った。
「嫉妬かい?女の子達への………」
「違う!そうじゃない!」
 里紗の言葉はほとんど叫びに近い物だった。
「あたしはそんな事思ってない!あたしは………あたしはただ………」
「ただ?」
「由高が………あんなにきれいに………あたし以外の女を………撮ってるなんて………」
 里紗の目には、いつの間にか涙が滲んでいた。それを見て、将生は里紗の頭をポンポンと叩く。
「まさか、君がそんな表情をするなんてね………まあ、君には喜ぶべき事なんじゃないのかい?彼が作家としてのステップを上がって行ってるんだから………」
「いやだ!あたしから………あたしから………由高が………離れちまうよ………あたしじゃなくても………由高は………やっていけるんだ………」
 そのまま里紗は静かにしゃくり上げ続け、将生はマネージャーが帰ってくるまで、彼女の頭を叩き続けなければならなかった。

 その部屋には、明かりがついていなかった。夕闇が迫る中、部屋の光量はどんどんと下がっていく。
 しかし、部屋の主はそんな事は意に介してないようだった。膝を抱えて、何をするでもなく虚空を見続ける彼は、やがてのろのろとリモコンを手に取った。テレビに光がともり、ビデオのモーターが周りはじめる。

 画面には、様々な映像が乱れ飛んでいた。笑い、泣き、走り、怒り………しかし、それらは部屋の主・・・羽島由高に、何の感動も与えなかった。

「ちくしょう…………」
 自分で見ていて悲しくなるほど、アラが見える。独りよがりで、撮り急いでいて、情感も何もあった物ではない。
「こんなんじゃ………ダメなんだよ………」
 次々に映像が切り替わり、やがて止まった。彼の目の前では、一人の女性が、圧倒的な存在感で、輝いていた。その目を見つめながら、彼はその名を呟いた。
「日比野………里紗………やっぱり…………おまえしか………いないよな…………」
 彼はおむもろに立ち上がると、電話に飛びついた。
「もしもし………」

「里紗………」
「夕焼けだ。由高」
 由高は、里紗を見つけた。初めてのビデオを撮った公園の、夕焼けのシーンを撮ったベンチで。彼女は、あの時と同じく、パパイヤにかじりついていた。ご丁寧に言っている事まで同じである。
「ああ」
 様々な想いのこもった言葉に、由高も様々な想いをこめた言葉で応えた。里紗はそれにうなずくと、沈みゆく太陽に向かって右手をかざした。
「前もこれと同じ事を言ったっけな………あの時あたしは、由高のことなんかなんとも思っちゃいなかった。ただ、からかってやるつもりだったんだ………いかれた男をね」
 そんな言葉と共に自嘲気味に笑う里紗を見て、由高はあわてて自分の心情を言葉にした。
「俺だって………俺だって、里紗の事は「いい被写体」位にしか見えなかった。まさか、「運命の女」だなんて、思ってもいなかったよ」

 二人はしばしの間、沈黙の内にお互いを見つめた。

 やがて、沈黙に耐えきれなかったかのように、里紗の口が開いた。
「でも、今は違う!もう、『なんとも思わない』なんてできない!由高が好きだ。本当に………あたし以外の女があんたのカメラにきれいに写ってるなんて、あたしには耐えられない!」

 里紗の言葉が風に吸い込まれた後に、由高の口が開いた。
「でも、今は違う。もう里紗は「運命の女」なんだ。里紗が好きなんだ。本当に・・・里紗以上の被写体は、もう考えられないんだ………里紗が撮れないシャシンの道は、つまらないよ………」

 やがて、二人の体が寄り添った………夕日は彼らの影を、遙か彼方にまでのばし………彼らの顔は、幸せに満ちていた………

「さて、どんなモノを撮ったんだ?」
 数日後、柳楽の部屋で、由高は一本のビデオを差し出した。
「実は………こうなっちゃったんです」
「どれどれ」

 テレビに光がともり、ビデオデッキがうなりをあげる。由高の作品は………ひたすら走る里紗を撮ったものだった。

「どういう事か、話せるか?」
 柳楽は、ゆっくりと由高の方を振り向いた。
「俺の………俺の被写体は、やっぱり「里紗」なんです。俺は、里紗を撮るためにカメラを………」
 そう言って、由高は左手をゆっくりと握りしめた。柳楽は、ため息を一つつくと、肩を竦めた。
「そうか………分かった。だが覚悟しろ。そういう動機で入ったシャシンの道は、普通の何倍も厳しいぞ。いいな?」
柳楽の脅すような口調に、由高はゆっくりと微笑んだ。
「分かっている………つもりです。でも、ここまで夢に生きたんなら、行きつく所まで行ってみたいんです」
彼を支えるのは………勇気。たった一つの、小さくて、輝いた、勇気だった。

(終)

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